打順選手名 守備ミート メモ
1番

どんな打順にいても嫌な野手の代表とも

2番

言える島津

3番

そんな彼だが今までたくさんの試練を

4番

乗り越えていた

5番

彼は物心ついたときにはもう野球を

6番

始めていた

7番

彼は、元からミート力もパワーも

8番

足の速さも、肩の強さも

9番

何にも持ち合わせていなかった

<チーム紹介>

しかし、彼は野球を誰よりも愛していた。上手くなりたいと思い、素振り、トスバッティング、ランニング、守備練習、走り込み、ウエイトなどなど工夫を凝らしてどのメニューも欠かさず毎日行った。
しかし、彼は少年野球、中学軟式野球、高校野球とレギュラーどころか公式戦にすら1回も出られなかった。多くの人からも馬鹿にされた。努力してもセンスのない奴にはできないんだよ、努力しても無駄なのに、何がしたいの、など散々ないわれをしていた。野球を辞めたかった。辛かった。
しかし、大学進学後、転機が訪れる。一年目の夏頃、講演会で当時リザーズと育成契約でのちにリザーズのエースとなるあの男、渋谷である。渋谷は島津の三つ上だ。渋谷は努力の重要性を講演で語った。そして、たまたま帰りの渋谷を見かけ島津は渋谷に「努力しているのに野球が上手くなれない。野球を辞めたいと思うことが何度もある。でも辞めたくない。」と相談した。すると渋谷はこう答えた。「努力するのは大事。でもそれ以上に息を抜くことが大切なんだ。僕も一時スランプに陥った。野球を忘れる時間を作る。そうしたら再び調子を取り戻せた。あとは野球のことを考えて練習しているか、今自分は『野球の練習』ではなく『野球』をしているんだ、って思うことかな。野球が辛いんだったら辞めたって良い。野球は楽しむためのもので辛くなってまでするものではない」島津は心が楽になった。それからは練習も野球をしているように思い、時には野球のことは忘れ、みるみるうちに成長した。50mも大学入学時には7秒6だったものが四年目には6秒4まで早くなり、遠投42mだったのも86mまで成長した。島津はどうせ無理だろうなとは思いつつもプロ志望届を提出。
ドラフト時には大学からも注目はされず島津は友達の家で友達とゲームをしていた。だが、別の部屋でドラフト会議を見ていた友達の父が大きな足音を立てて部屋へ入ってき、クロウズに育成ドラフト2位で指名されたことを伝えた。島津自身が最も驚いていた。入団会見には半信半疑で挑んだ。しかししばらくすると実感が湧いてきた。
育成で入団した島津だが3年経ってもファームで思うような成績を残せず、支配下を勝ち取れず自由契約の危機が迫ってきた。野球が嫌いになってきた気がする。やめようかな。と何度も思った。

Posted by 名無しさん / No.21711 / Date 2025-12-09 23:47:00

コメント (1)

N.H. - 2025-12-09 23:49:30

そこへあるニュースが入ってくる。
渋谷投手、支配下勝ち取る!
島津は忘れてしまっていた、恩師である渋谷の言葉を。
島津は再び息抜きや野球をしているんだ、と自分に言い聞かせる。そして支配下枠を勝ち取り今日に至る。努力バカ、島津の話であった。
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名無しさん