打順選手名 守備ミート メモ
1番

荒球で打者からアウトを奪う

2番

160km/hをも超える豪速球に

3番

縦に大きく割れるスプリットで

4番

打者からアウトを奪う投手

5番

そんな選手、思いつくのは1人だけだろう

6番

そう、渋谷である。

7番

彼は野球をしている時、

8番

いつも笑顔を絶やさない。

9番

それには深いわけがあったのだ

<チーム紹介>

 渋谷の生まれは秋田、冬は雪がしんしんと降る。小学生から始め、強肩なので投手を始めた。直球は圧巻だった。中学では打撃でも成績を残した。高校は多くの学校からも推薦はもらうも公立高校へ。高一からエースに抜擢。売りは制球。完璧なコースにズバッと決まる。渋谷はそれが楽しくてたまらなかった。高校二年生の冬のことだった。
 永遠連投、監督はお前以外信用できない、と投げさせ続け渋谷の肘は壊れそうだった。ついに肘が断裂。TJ手術を受ける。リハビリも長く高校では投げられなくなった。高卒ドラが一般的なダイ野界で注目されていたエースは名門中王大学へ。
 一年、Tリハビリも終えておらず投げなかった。二年、やっと復帰。だが本格的な登板はなかった。三年で本格登板に復帰。前ほどの制球は失われた。
 ドラ一で蜥蜴へ。制球に158km/hの直球、キレの良いスライダーとカーブ、ツーシームが武器だった。
 1年目、防御率3.23、奪三振率7.27と破格の数字。4年目は勝利数、防御率、勝率の三冠に輝く。順風満帆に思われた彼の野球人生。入団5年後、歩道を歩いていた時、ある子供が道を飛び出し、車が猛スピードで迫ってくる。渋谷は飛び出し子供を守った。車に轢かれ全治8ヶ月の大怪我。野球をしたいからリハビリに取り組もうとしていたが、医者は野球はできないと言う。その言葉は渋谷の胸に突き刺さり、絶望の果てへと連れてゆく。監督やコーチ、先輩の桐野や後輩の加賀谷など、他チームの宗像や甲本までもが見舞いに来、復帰を心より願ってくれた。野球をできる幸せを知る。医者の言葉など忘れて必死にリハビリに取り組み、31で復帰。しかし、プロはそれほど甘いものではない。必死にもがき続けたが二軍でも活躍できず。あの制球はどこにもなかった。全てが無駄だったと思い始めた。ある日、宗像と会い「憧れはあなたでした。もうすぐ渋谷さんのピッチングをまた見れるのが嬉しいです。自分も渋谷さん見たら復帰しようと思ってます」と言われ、渋谷は再び野球を頑張ろうと思う。練習をしても、制球は改善できなかった。新しい武器が必要と考え、様々な変化球を考えSFFが最適だと導き出す。32歳、渋谷は再び一軍で暴れる。雑賀や笹原により、タイトルこそ取れなくなったがそれでも渋谷は投げ続ける。野球をできる喜びを噛み締めながら。

Posted by N.H.ブラウン / No.22797 / Date 2026-02-03 19:14:28

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